御来光

Chemical Intro:
 これまでに雑誌や単行本で書いてきた記事の導入部分の中で,気に入っている作品をここに集めてみました.どうぞ,お楽しみください.(「だれでもわかる量子化学」(東京化学同人),「スペクトルを探る旅」(東京化学同人),「なっとくする量子化学」(講談社),「なっとくする機器分析」(講談社)より.)


ミツバチの感じる”夢の色”

遊歩道の近くにも,小さいけれども,黄や青の花々が咲いている.
決して派手ではなく,むしろ質素な感じさえする.
それでも,なんとなく心を打たれ,もっともっと近づいてみたくなる.
 私は持っていたカメラのレンズを接写用に取り替え,
ファインダーを覗き込んでみた.
そこには,色鮮やかな花びら,めしべ,それをとりまくおしべなど,
整然とした自然の幾何学模様が映し出されている.
理由はわからないけれども,
言葉では言い表せないある種の感動が心の底から広がってくる.
 花は花粉を運んでもらうためにミツバチを誘う.
ミツバチが見て,不愉快な色では意味がない.
人間が見て感動するように,おそらく,ミツバチも花を見て,
同じように感動しているに違いない.
いや,人間よりも感動しているのかもしれない.
人間は700 nmくらいの赤から400 nmくらいの紫までの光を
色としてみることができるといわれている.
一方,ミツバチは580 nmくらいの黄から350 nmくらいの紫外線までを
見ることができるらしい.
黄の花は,実は,黄の光と紫外線を反射している.
人間には紫外線が見えないので花は黄に見えるけれども,
ミツバチには黄と紫外線の両方が混ざった色に見えているはずである.
黄と青を混ぜれば緑になることは知っている.
黄と紫外線を混ぜたらどんな色に見えるのだろうか…….
 それは幸せを感じる“夢の色”にちがいない.
なぜなら,ミツバチが何匹も嬉しそうに花に近づいているから.

<電子吸収スペクトルのイントロ>


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河原で拾った宝物

つり橋の上から,渓流をしばらく眺めていた.
岩と岩の間を勢いよく流れる水はまわりの木々の葉を映してか,
少し緑がかって見える.
そんな流れの中に,細長い黒い影が動いたような気がした.
岩魚か山女がいるのかもしれない.
もっと近くで見るために,私は橋を離れ,
細い急な坂道を降って,河原に下りていった.
 川面で反射される光のまぶしさの中で,
しばらく目を凝らしていると,
20センチほどの魚が川底に体を押しつけるようにして,
じっとしているのがわかった.
1匹を見つけると,あとは,次々と見つけることができた.
都会の川と違って,山間の渓流はまだまだきれいであり,
たくさんの魚が棲むことができるらしい.
 河原から少し手を伸ばせば届きそうな川底に,
緑色の石が光っているように感じた.
 何だろう.まさか,ひすいかエメラルドでは…….
 少し期待を込めて拾ってみたが,
それは,やはり,宝石のような輝きをもっていなかった.
おそらく,上流から運ばれてきたありふれた火山岩の一種であろう.
しかし,その形と色合いが宝石に負けない愛らしさをもっている.
私はその石を濡れたまま,そっと,ズボンのポケットにしまった.


<顕微ラマン分光法のイントロ>




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メロンを買ってきん

駐車場に車を止めて少し歩くと,
日焼けした顔の老婆が道端でござを敷いて座っていた.
その前にはこの地方の特産であるメロンがいくつか並べられている.
「お兄さん,一つ買ってきん」
 どうやら,自分よりも年下の男の人をお兄さん,
女の人をお姉さんと呼ぶことにしているらしい.
「おいしいかな?」
 私は尋ねてすぐに,くだらない質問をしたと後悔した.
「おいしいか」と聞かれて「おいしくない」と答えるわけがない.
案の定,
「そりゃあ,うまいでねえ,これを食べてみりん」
 老婆はつま楊枝にさした小さなメロンを一切れ差し出した.
食べてみると,確かに甘かった.
しかし,ほかのメロンも同じように
甘いという保証があるのだろうか.
「うまいだらあ.二つ買ってきん」
 標準語化されていないその地方の言葉に親しみを感じて,
私は両手にメロンをぶらさげて駐車場に向かった.

<近赤外分光法のイントロ>







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レモンのかき氷

避暑地とはいっても,昼下がりの散歩はかなり暑かった.
鱒の養殖池の角を左に曲がり,
テニスコートの横を通り抜ける頃には,
大粒の汗を額に浮かべていた.
こんなときに,かき氷でも食べられたらいいなと思っていると,
ヨーロッパの山小屋を連想させるしゃれた喫茶店が目に入った.
建物の壁はすべて丸太で組み立てられている.
 中に入ると,奥から
「いらっしゃい」という声が元気よく返ってきた.
窓は開放され,心地よい風が通り抜けている.
都会の喫茶店ではクーラーが効きすぎていて,
つい,かき氷の代わりにホットコーヒーを注文してしまうけれども,
ここではそんなことはなかった.
「かき氷をください.レモンにしようかな」
やがて,シュルシュルという音が聞こえてきた.
そして,少し止まっては,
また,シュルシュルという音が繰り返し聞こえてくる.
どうやら手回しで氷を削っているらしい.
「お待ちどうさま」という声とともに,
山盛りのレモンのかき氷がテーブルの上に置かれた.
スプーンですくって口に運んでみると,
粉雪のようななめらかな氷が,さーと,“自然に”溶けていった.

<分子間相互作用のイントロ>





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夜空に輝く花火

あたりはもう夕闇がせまっていた.
先ほどまで見えていた湖も,いまでは墨絵の中で消えかかっている.
先を急ごう.
次の十字路を右折すれば,泊まる予定の温泉宿が見えるはずである.
今夜はゆっくりと温泉につかることにしよう.
 露天風呂からあがって部屋でのんびりとくつろいでいると,
突然,外で大きな音がした.
驚いて窓から外を見ると,湖の方角にきれいな花火が上がっていた.
大輪の菊の花を思わせるような見事な花火だった.
「きれいな花火だね」
 しばらくの間,次々と打ちあげられる花火に見とれていた.
菊の花ばかりではない.
しだれ桜のようなものも,ゆりの花を思わせるようなものもある.
ピースマークが出てきたときには,思わず笑ってしまった.
時代とともに,花火の種類も変わるらしい.

<発光分光分析法のイントロ>










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老人とキャンバス

高原にある遊歩道をのんびりと歩いていると,
一人の老人に出会った.
もう,60歳を少し過ぎているだろうか,
物静かそうなその老人はベンチの前にキャンバスを立て,
絵を描いていた.
私はそっと小さな声で尋ねた.
「そばで見ていていいですか?」
 老人は軽くうなずくだけで,
私の存在には気を留める様子もなく,絵を描き続けた.
 遠くに見える緑濃い山々,目の前に広がる湿原,
そして,黄や青の色とりどりの小さな花々.
絵は次第に完成されてゆく.
絵の具は30色ぐらいあるけれども,
いくつかの絵の具を少しずつ使って,
納得するまで微妙な色彩を探している.
その落ち着きのある筆使いに,
素人とは思えない雰囲気が感じられる.

<紫外・可視分光法のイントロ>









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サンタさんの贈り物

「サンタさんは絶対にいるよ」
小学生の娘が真顔で主張している.
「だって,去年のクリスマスに,
サンタさんに初雪をプレゼントしてくださいとお願いしたら,
ちゃんと降らせてくれたもん」
あまり雪の降らないこの地方の子供たちにとって,
雪を見たり,雪合戦をしたり,雪だるまをつくったりすることは,
ほかの遊びに比べようがないほどの楽しみである.
サンタさんにお願いしたくなる気持ちもわからないわけではない.
一度もいったことのない空の上から
ふわふわと降ってくる雪は神秘的であり,
サンタさんの贈り物にふさわしい.
 そういえば,子供の頃に,
雪の結晶の話の本を読んだことがある.
そこには,六方対称の形をした
とてもきれいな結晶の写真が載っていた.
まるで,植物の葉のような整然とした自然の造形である.
自分も本物の結晶を眺めてみたいと思い,雪の降る寒い日に,
虫眼鏡をもって外に飛び出したことがある.
しかしながら,悲しいことに
同じような美しい形を見ることはできなかった.
どうやら虫眼鏡では倍率が足らなかったらしい.
手のひらの粉雪ははかなくも消えてしまった.

<透過電子顕微鏡のイントロ>






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一枚の写真

素晴らしい写真だった.
青空を背景に,一匹の蝶が花からまさに飛び立とうとする
その瞬間を捉えた感動的な接写だった.
どんな人が撮ったのだろうか.
著名なカメラマンなのだろうか.
 その人は全身の筋肉が動かなくなるという難病を患っていた.
もちろん,身体を動かすことも,食べることも,
話すこともできない.
動くのは唇だけである.
どうやって写真を撮るかというと,
自分がこれだと思った被写体の前に身体を運んでもらい,
じっと待つ.
1時間も2時間も同じ姿勢で待つこともあるそうだ.
そして,その瞬間,
特別につくってもらったカメラのシャッターのスイッチを
押すために,渾身の力をこめて,唇を動かす.
 ある人が質問した.
「どうして写真を撮るのですか?」
 その人はゆっくりと唇を動かし,
その動きに呼応するようにパソコンの画面に大きな文字が現れた.
「人に・・・感動を・・・与えられなければ・・・
生きている・・・意味がない」
 確かに,いくら自分で欲しい物を手に入れて,
やりたいことをやっても,
人が感動しなければ意味がない.
それは生きているというよりも
化学反応をしている単なる物体である.

<核オーバーハウザー効果のイントロ>




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御来光

ヘッドライトの灯りで足元を照らしながら,
一歩ずつ,ゆっくりと山道を登っていった.
あたりは暗く,まわりの山や谷などの景色はまったく見えない.
涸れ場を通り,鎖場を抜け,
焦る気持ちをあえて抑えながら,慎重に先へ進んでいった.

間に合うだろうか……

空が少しずつ白んできたように思えたが,
それは気のせいではなかった.
薄明かりの中で,
南アルプスや富士山が徐々にその影を現し始めている.
頂上に着くと,そこにはすでに数人の先客がいた.
誰もしゃべっている者はいない.
皆,静かに座って,その瞬間を待っている.
やがて,東の空が最初は紺碧に,
そして,徐々に赤く染まり始めた.
御来光である.
わずかに残る筋雲の影が,
まるで,じきに訪れる夜明けの先導をしているかのようである.
夕焼けほど赤々とは燃えてはいない.
しかし,朝焼けはなんとなく気持ちが引き締まる思いがする.
物音一つなく,空気も動かず,そんな静かさの中で,
朝日がその荘厳な姿を見せ始めた.
一日の始まりである.

<ラマン散乱スペクトルのイントロ>


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夏の牧草地で

車は渓谷を離れ,次の目的地に向かった.
出発してしばらくすると,
曲がりくねった長い下り坂が続いた.
エンジンブレーキを使わないと,
ブレーキディスクが焦げついてしまいそうである.
オートマチック車のくせに,
シフトノブを握った左手が忙しく前後に動く.
 ようやく坂の傾斜がゆるやかになったと思った頃,
目の前に広々とした牧草地が現れた.
夏の日差しを受けて,青々とした牧草が茂っている.
遠くに白と黒のまだら模様の岩が
いくつも並んでいると思ったけれども,
それらは放牧されている牛だった.
ほとんどの牛が,ただ,しゃがみ込んでいるだけである.
車の中はクーラーが効いていて気づかなかったけれども,
外の気温はかなり高いらしい.
あまりの暑さで,食欲がないのかもしれない.
試しに,車の窓を開けてみると,
いきなり,侵入してきた熱風に体が包まれてしまった.
 それにしても,昔の夏よりも,
なんとなく暑くなったような気がする.
以前は木陰に入れば涼しい風が通り抜けていて,
根元に座って本を読むこともできた.
しかし,今では木陰に入っても流れる汗は止まらない.

<赤外分光法のイントロ>



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名犬”シャノン”

隣に止まった車の助手席を見ると,
そこには凛々しい顔をした犬が行儀よく座っていた.
なんとなく小学生の頃に飼っていた“シャノン”に似ている.
シャノンというのはその当時に流行っていた
テレビ番組の主人公からとってつけた名前である.
 シャノンは毎日決まった時間になるとよく吠えて,
散歩の催促をした.
散歩につれてゆくと,シャノンはとても嬉しそうである.
小学生の腕の力では,
首につけた鎖のコントロールが難しいほど勢いがあった.
散歩の途中で別の犬に出会ったときには,とりわけ大変である.
いきなりうなり声をあげて,けんかでもしそうな雰囲気である.
あわててお互いの犬を引き離した.
しかし,別の犬に出会うと,
「くーん」と甘い声を出し,
嬉しそうに鼻をくっつけあうこともある.
当然ながら,前犬はオスであり,後犬はメスである.
シャノンの様子を見ているだけで,
相手の犬がオスかメスかを正確にあてることができる.
 車の窓を開けて,隣の助手席に向かって,
小さな声で「シャノン」と呼んでみた.
しかし,こちらを振り向くはずがなかった.
 懐かしさをパーキングエリアに残して,私は車を出発させた.

<スピンースピンカップリングのイントロ>





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鍾乳洞の中で

ひんやりとした冷たい空気が伝わってきた.
狭い穴をもぐってゆくと,
そこには外界とは無縁の不思議な世界が広がっていた.
天井からは,つららのような鍾乳石がいくつもぶらさがっている.
地面からは,たけのこのような石筍が生えている.
お地蔵さんに見えたり,樹海に見えたり,くらげに見えたりする.
1センチ成長するためには,およそ100年がかかると言われている.
数万年をかけた自然の芸術である.
目には見えないけれども,
今も水滴の中の炭酸カルシウムが少しずつ結晶化して,
ゆっくりと成長を続けている.
 遠くのほうから,水の流れる音が聞こえてきた.
暗闇なので,はっきりとはわからないが,
鍾乳洞だから,地下水が流れているに違いない.
石筍に囲まれた狭い通路をしばらく進んでゆくと,
その音は次第に大きくなってきた.
そして,いつのまにか,水のしぶきが顔をぬらし始めた.
思わず天井を見上げると,大量の地下水が穴から流れ落ちている.
およそ30メートルはあるだろうか.
鍾乳洞の中の見事な滝である.
閉じられた空間の中で,悠久の昔から轟き続けている.

<電子励起状態のイントロ>





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夢の中で

ポーランドのブロツワフ空港から,
もう2時間近くもバスで走っている.
それなのに,窓から見える景色はいつまでたっても変わらない.
見渡す限り,平坦な草原が続いている.
まさに,ロシア民謡の「ポーリシュカ・ポーレ」である.
ポーランドの国名(Polska)は
“平原”を意味する言葉に由来するらしい.
 さらに,30分ほど走ると,ようやく草原が終わり,
日本でなじみの山間の風景が現れた.
バスは止まり,観光客は歩き始めた.
観光ガイドの男性が,
「ここはポーランドでもすごいところです」
と,少し興奮しながら説明を始めた.
5分ほど歩くと,
そこには,日本でよく見かける小さな滝があった.
5,6メートルの高さだろうか.
ガイドの男性の興奮した声が続いている.
どうやら,ポーランドでは
水が垂直に流れることはとてもめずらしいことらしい.
 やがて,流れる水の音が
耳元で聞こえる現実の小川のせせらぎに変わっていった.
夢を見ていたらしい.
何時だろうか.
私は近くに置いてある目覚まし時計に目をやった.
暗闇の中で,時計の針の先端が黄緑色に光っている.

 <りん光スペクトルのイントロ>





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犬とフリスピ−

白樺の林の中の小道を通り抜けると,小さな公園があった.
公園といっても,片隅に切り株を利用したベンチがあるだけで,
ブランコや滑り台のような人工物は何もない.
ベンチに座ってしばらく休んでいると,
近くのテニスコートから,
ラケットでボールを打つ心地よい音が聞こえてきた.
午後3時を過ぎれば,真昼の暑さも嘘のようである.
 そろそろ宿に戻らなければ.
そう思って立ち上がろうとしたときに,
足元にプラスチックの円盤が転がってきた.
よく見ると,フリスビーである.
拾おうとして手を出したとたんに,
チョコレート色の犬が尻尾を振りながら飛び込んで来て,
くわえていった.
 二十歳過ぎのその若者は犬からフリスビーを受け取ると,
ふたたび,回転させて,空高く投げ上げた.
それと同時に犬も走り始め,ジャンプしたかと思うと,
確実にフリスビーを口にくわえた.
そして,尻尾を振りながら若者のところにもどって行った.
そんな光景が何度も何度も繰り返された.
いつのまにか,白樺が夕日で薄赤く染まっていた.

<振動回転スペクトルのイントロ>





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”おおぐま”と”こぐま”

あたりには人工的な光はほとんどなかった.
そのおかげで,空にはたくさんの星がまぶしいほどに輝いていた.
北の空に目をやると,すぐに北斗七星を見つけることができた.
七つの星がひしゃくの形をして,明るく輝いている.
ひしゃくの先端の二つの星を延ばしてゆけば,
そこには北極星を見つけることができる.
 北斗七星はおおぐま座,北極星はこぐま座と呼ばれている.
しかし,いくら眺めていても,
それらはくまの形には見えてこない.
どうしてこのような星座の名前がつけられたのだろうか.
ギリシャ時代には,本当にくまの形に見えたのだろうか……?
 もしかしたら,当時の夜空は
今よりももっともっとたくさんの星が輝いていて,
まるで,点描画のように,
立体的な像を天空に映し出していたのかもしれない.
「ほら,おおぐま(母熊)がこぐまのまわりを
毎日一周しているのだよ」
夜空を見上げながら,
そんなギリシャ神話を子供に聞かせる時代は,
もう来ないのだろうか.

<剛体近似のイントロ>





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季節はめぐる

大勢の観光客を乗せて,遊覧船は静かに動き出した.
湖の真ん中で見る紅葉も,また,格別である.
夏には緑だったまわりの山々も,
今では,すっかり,赤や黄に色づいている.
暑かった夏はいつの間にか過ぎ,秋が急速に深まっている.
湖面を走り抜ける風も,少し冷たく感じられる.
デッキに立つ観光客の多くは
ジャンパーや毛糸のセーターを着込んでいる.
冷え込みの厳しい秋には紅葉がきれいであるといわれるけれども,
確かにその通りだった.
ななかまどは燃えるように赤く染まっている.
 北の山々からは,もう,初雪の便りが聞こえてくる.
秋は短い.
すぐに,厳しい冬がやってくる.
夏には早く涼しくなることを期待し,
冬になれば暖かい春の訪れを待ちわびる.
日本では,夏と冬の気温差は40℃近くにもなる.
そのおかげで,四季折々の自然を楽しむことができる.
季節はめぐり,人々は希望を抱く.

<核四極子モーメントのイントロ>





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春になれば

窓の外では粉雪が降り続いている.
さきほどまで見えていた田んぼも小川も,
灰色の世界の中で霞んでいる.
家の中にはまきストーブがあって暖かいけれども,
外はかなり寒そうである.
春が待ち遠しい.
春になれば,田んぼは,一面,レンゲの赤紫の花に染まる.
ここでは化学肥料ではなく,レンゲの根粒菌が肥料となる.
自然は“自然のまま”に生きられる.
 そういえば,最近は農薬などの影響で,
めだかがすっかりいなくなってしまった.
昔は,小川の中で,流れに向かって何匹も仲良く並んでいた.
まさに,「めだかの学校」である.
たまに,流れと反対を向くめだかもいたけれども,
すぐに,向きを変えて皆と同じ向きで泳ぐ.
最初に見たときにはちょっと不思議に思ったけれども,
よくよく考えてみれば当たり前のことである.
川の流れと同じ向きで泳いでいたら,
その場にとどまることはできない.
やがて海に流されてしまう.
 窓の外では,雪がまだ降り続いている.
汚れをおおい尽くした無垢な世界が広がっている.
できるならば,自然のままに,そっとしておきたい.

<電子スピン共鳴法のイントロ>



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戦時中の忘れ物

「屋根裏部屋に得体の知れない大きな甕があって,
中に変な物が入っているので確認してくれませんか?」
研究室のある古いレンガの建物の屋根を修理に来た技術者が
怪訝な顔をして頼みにきた.
「甕?」 
まさか,味噌でも入っていると言うのだろうか.
この研究室は明治時代から続く由緒ある研究室.
戦時中の食糧難の時代に屋根裏部屋に味噌を隠したとは思えない.
階段を登り,屋根裏部屋に入ってゆくと,
数センチの高さにまでつもった鳩の糞が
まるでじゅうたんのようになっている.
しかも,歩くたびにほこりになって舞い上がり,
思わず,ハンカチで口を押さえる.
病気になってしまいそうである.
それでも,やっとの思いで甕までたどりつき,
恐る恐る蓋をあけてみる.
なんと,そこには味噌ではなく,
味噌の原料となる大量の塩が入っていた.
「塩?味噌の原料?」 

あとから聞いた話であるけれども,
ここは分子分光学に関しては最も権威のある研究室である.
赤外線用の分光器を組み立てるために,
大きな塩化ナトリウムの結晶をつくり,
赤外線を通すプリズムをつくっていた.
どうやら,その原料を大量に買い込んで
屋根裏部屋にしまい忘れたようである.

<X線回折法のイントロ>



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人間ドックはつらいよ

心電図も測定したし,眼底写真も撮ったし,
いよいよあとは胃のX線撮影だけである.
しかし,いつもこの最後の検査が難物である.
まずは,造影剤のバリウムと
胃を膨らませる発泡剤(重曹)を飲んで,
検査の準備をする.
どろっとしているが,少し甘い感じがするので,
飲むこと自体はそれほど苦痛ではない.
しかし,「げっぷ」をしないように
がまんするのはかなりの苦痛である.
いよいよ検査の順番がやってきて,
ベッドに横になり,撮影の準備をする.
ベッドを動かす機械音の中で,
検査技師の聞き取りにくい声によって,
次々と指示が出される.
「右を向いてください.左を向いてください.
腰はそのままにして上を向いてください.
右を向いてください」
何をさせるのだ,
身体がねじれてちぎれるだろうと思いつつも,
言われるままに努力する.
まるで旗揚げゲームである.
そして,気をゆるめたとたんに,大きな「げっぷ」.
こんなに激しく身体を動かしたら,
「げっぷ」が出ないわけがないだろう(怒).
検査技師の冷たい声がスピーカーから響く.
「はい,胃が膨らむまで外で休んでいてください」
勘弁して欲しいよ(あきらめ).

<蛍光X線分析法のイントロ>



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消えた一枚の宝くじ

自慢ではないが,
生まれつき“くじ運”というものがまったくない.
福引も宝くじも,いまだかつて当たったことがない.
それでも,年の瀬の声が聞こえるようになると,
宝くじ売り場に向かい,
「ばらで30枚ください」
と言って買ってしまう.
 大晦日のお昼ごろ,テレビを見ていると,
当選番号の発表がある.
それをメモして,買った宝くじと,1枚1枚を照らし合わせる.
どうせ当たっているわけがないと思いつつも,
心の片隅で,もしかしたらという淡い期待を抱く.
案の定,7等(300円)以外は当たるわけがない.
 あれ,29枚しかない.1枚はどうしたんだろう.
 1枚がなくなったことがわかると,なんとなく,
それが必ず当たっているような気がする.
どこだろう.当たっているわけがないのに,
なぜか悲劇的な気持ちが襲う.
そのとき,
「洗濯したワイシャツのポケットに紙の塊があったわよ」
 急いでそれをもらって広げ,ばらばらになった断片を
まるでジグソーパズルのようにつなぎ合わせてゆく.
 あっ,1等の組番号と同じだ.なんと,最初の3桁も同じだ.
残りの3桁の断片をもつ手が震える・・・.
 今年もいつものように何事もなく,1年が終わろうとしていた.

<質量分析法のイントロ>




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広島発東京行き最終便

「当機はまもなく離陸体制に入ります.乗客の皆様は
もう一度シートベルトをご確認ください」
 ○○時△△分,広島発東京行きの最終便の中,
スチュワーデスのアナウンスが流れる.
本当は,近くの湯来温泉で,
のんびりと疲れた身体を休めたかったのだけれども,
残念ながら,明日は朝から会議である.
今夜中に東京にもどらなければならない.
飛行機に乗るときには,必ず,窓側の席を指定する.
窓から見える瀬戸内海や海に浮かぶ緑の島々,そして,
白い波跡を残す数々の船などの眺めを楽しむためである.
しかし,今は夜.いつもの楽しみは望めそうにない.
それでも,何気なく窓から外を見ていると,
暗闇の中で点々と輝く照明の帯に気がついた.
何だろう?
もしかしたら,瀬戸内海に沿って走る山陽自動車道かもしれない.
そうすると,その先の夜光虫のような光の集団は神戸かもしれない.
そう思って見ていると,確かに,
さらにその先には大阪の照明が一面に輝いている.
暗くて,陸地は見えないけれども,
点々とする明かりをつなぎ合わせてゆくと,
なんとなく,日本列島の地図が思い浮かんでくる.

<走査電子顕微鏡のイントロ>






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エミール・ギレリスのレコード

久しぶりで押入れの中を片付けていると,
厚手の布で大事そうに包まれたものが紙袋の中から出てきた.
 何だろう?もしかしたら,高価な骨董品かもしれない.
 そう思って,慎重に1枚ずつ布をはがしてゆくと,
中からは直径が30センチほどの黒い円盤が出てきた.
真ん中に小さな穴が空いており,そのまわりには溝が掘ってある.
昔のレコード盤である.表面には
「エミール・ギレリスのベートーベン ピアノソナタ」
と書いてある.
ギレリスは20世紀を代表する
旧ソ連(ウクライナ)のピアニストである.
楽譜に忠実に弾く高度なテクニックはほかに類を見ない.
いつごろ買ったのかは,まったく覚えていないし,
どうしてここにしまってあったのかもよくわからない.
 聴いてみたい.
しかし,聴くためにはレコードプレーヤーが必要である.
残念ながら,家にはそのようなものはない.
壊れたためか,使わなくなったためか,
いつのまにか処分してしまったような気がする.
最近はCDを聴くことはあってもレコードを聴くことはまずない.
しかし,CDはデジタル録音であり,
デジタル信号を音に変換しているのに対して,
昔のレコード盤はアナログ録音である.
無限の音が忠実に記録されていて,
きっと,CDとは違った音に聞こえるに違いない.

<走査プローブ顕微鏡のイントロ>






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得をするためには,損をさせる!?

 「金を儲けることは悪いことですか?」
 テレビの中でM氏が大きな声で叫んでいる.
どうやら,本気で反論しているらしい.
M氏は投資会社の代表である.
値上がりしそうな株を大量に購入し,
第三者をそそのかして買収のための株の買占めを行わせ,
株価を吊り上げる.
株価がある程度上がった段階で保有している大量株を処分して,
莫大な差益を得る.
数ヶ月間で,その額は数十億円に達することもある.
 でも,よくよく考えてみると,何かが変である.
誰かが得をするということは,誰かが損をするということである.
新しい価値を生み出さずに,
キーボードを叩くだけで得をするためには,
損をする人間をつくり出さなければならない.
競馬でも全員が当たり馬券を買ったとしたら,
誰も得をすることができない
(この場合,全員が元の金額を手にすることが
できる仕組みのようだが,
主催者は必要経費の金額だけ損をする).
宝くじも同様である.
1等が当たって大金持ちになる人もいれば,
私のように必ず損をする人もいる.
宝くじの配当金率は50%にも満たない.
 原子の世界でも同じようなことがある.
同じ原子の中で,エネルギーを失う電子がいると,
そのエネルギーを得て原子の外に飛び出す電子がいる.

<オージェ電子分光法のイントロ>





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読み・書き・そろばん

江戸時代の庶民の子供たちが寺子屋で学んだものは
「本を読み」,「字を書き」,「計算をする」ことであった.
そろばんは計算するための便利な方法であり,
昭和40年代の頃まではいたるところに「そろばん塾」があった.
子供たちは学校が終わるとそろばん塾に出かけ,
練習をしたものである.
しかし,昭和40年代の後半に
電卓(電子式卓上計算機)が普及し始めると,
そろばん塾も,そろばんを習う子供たちの数も
急激に減少していった.
一方,電卓は,半導体産業の発展に伴って小型化,薄型化が進み,
始めは1 キログラムもの重さがあったものが,昭和50年代には,
手のひらにのるカードサイズの大きさのものも現れるようになった.
 机の引き出しの中には懐かしいカードサイズの電卓がしまってある.
もう,25年以上も前に,光化学に関する国際会議が開かれた際に,
参加記念にもらったものである.
引き出しをあけたとき,電卓の液晶パネルには何も映っていない.
しかし,数秒経つと,表示がはっきりと見えるようになる.
その当時に開発されたばかりの太陽電池がついており,
蛍光灯の光が当たると電流が流れるようになっている.
四則演算しかできないけれども,
確かに,半永久的に使うことができる.
太陽電池は光によって
電子が飛び出す光電効果を利用した電池である.

<X線光電子分光法のイントロ>


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元日の朝の初詣

初詣は近くにある大國魂神社と決めている.
大國魂神社は武蔵の国の総社である.
普通は本殿の南側に参道があるけれども,
この神社はちょっと変わっていて,参道が北にある.
松飾をしない風習もある.
 午後になると参道は初詣客であふれ,身動きがとれなくなる.
本殿前に着くまでに数時間もかかる.
そこで,元日の朝に,届いた年賀状を読む前に,
家族4人で初詣をすることにしている.
 午前10時前,それでも初詣客はかなり増えていた.
参道の入り口で,家族4人で話し合う.
 「途中ではぐれたら,本殿前のおみくじの前で落ち合おう」
 行列は本殿に向かって,少しずつ前に進んでいる.
よく見ていると,どうやら並んでいる列の位置によって,
少しスピードが違うようである.
参道の端のほうでは,
店でたこ焼きやいか焼きを買うために客が立ち止まっていて,
動きが遅い.
一方,参道の中央では,
初詣を終えて戻ってくる人々とぶつかって,
やはり動きが遅い.
いつのまにか,家族の姿は見えなくなっている.
 ようやく,本殿の前のおみくじのところにたどりついた.
きっと,一番だろうと思っていたら,家族の中で最後であった.
どうやら,歳の若い順に到着したようである.

<クロマトグラフィーのイントロ>


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アリゾナの夜空

1987年の秋,
私はアメリカのアリゾナ州ツーソンに住む友人を訪ねた.
久しぶりに会ったその友人は,心からの歓迎をしてくれた.
夕食後に,彼はすばらしいところへ連れて行ってあげようと言って,
私を車に乗せた.
 しばらくハイウェイを走って郊外に出て,
舗装のしていない細い道を10分ほど走った.
そこからは,もう,ハイウェイを走る車のライトも見えなかった.
やがて,友人はライトを消した.
「さあ,ここだよ」
 何があるのだろうか.
車から降りて空を見上げたときに,私は驚きの声を上げた.
そこには,数え切れないほどの星が輝き競っていた.
そして,あまりの星の多さのために,
北極星ですら,すぐには見つけることができなかった.

<黒体放射のイントロ>







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高速道路で

昨夜の春の嵐がまるで嘘のようなおだやかな朝だった.
山の斜面を照らす陽の光は
露のしずくで着飾った草葉の上でまどろんでいる.
そんな静けさを破るかのように,突然,携帯電話が鳴り響いた.
しかし,取るわけにはいかない.
ここは高速道路の上である.
それならば,運転中は電源を切っておけばよいのに
と思うのだけれども,
急用が入るかもしれないと思うと,
なかなか電源を切ることができない.
 私は最寄りのパーキングエリアを見つけて車を止めた.
携帯電話の表示を見ると,某出版社の○○からの電話である.
携帯電話を使えば,いつでもどこでも連絡が取れ,
とても便利である.
しかし,その代償として,
なんとなく,心のゆとりを失ってしまったような気もする.
現代のような情報化社会では,
人々はいつでもどこでも仕事に追いかけられている.
 どうしよう.出版社からの電話の内容は原稿の催促に違いない.
ノートパソコンを取り出して,
携帯電話をつなげば原稿を添付して送ることはできる.
でも,それは旅先の自然の中では似合わない.
私はついに携帯電話の電源を切る決心をした.

<核磁気共鳴法のイントロ>





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ある日の昼下がり

その日は,いやに暑かった.
まるで,焼けつくような太陽からの光が
音を立てて全身に降り注いでいるかのようだった.
私は東京の日比谷公園で噴水を見ながらしばらく休んだ後で,
ふたたび歩き始めた.
虎ノ門交差点を過ぎ,外堀通りを歩いてゆくと,
やがて,16階建ての近代的なビルの前の植え込みのそばに,
一つの奇妙な石の彫刻が置かれているのを見つけた.
直径約3メートルの巨大な球の一部が切り取られたような,
幾何学的な形であった.
これは一体,何だろうか.
 その近代的なビルは特許庁であった.
特許庁とわかって,私はふと,
アインシュタインのことを思い出した.
そういえば,アインシュタインもスイスの首都ベルンの特許庁に
勤めていたはずである.
そして,私はひとりでうなずいた.
確か,アインはドイツ語で「一つ」のこと,
そして,シュタインは「石」を意味している.
ということは,この「ひとつの石」はアインシュタインを意味し,
ここが特許庁であることを示しているに違いない.

<光電効果のイントロ>





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M先生,教えてください

今でもはっきりと覚えている.
それは高校2年の秋のことである.
私はM先生の授業が好きだった.
M先生は,いつも,わかりやすく化学を教えてくれるし,
いろいろと面白い実験をしてくれる.
その日は水の電気分解の実験をしてくれた.
水の中に電極を入れて電流を流すと,
確かに,電極から気体が発生した.
陰極側には水素が発生し,陽極側には酸素が発生したらしい.
私はM先生に質問をした.
「どうして,陰極側に水素が発生するのですか?」
私は,水の中に水素イオン(H+)が存在し,
電極の表面で電子が供給されて水素原子になることは知っていた.
       H+ + e− → H
しかし,そのあとが理解できなかった.
どうやって,水素原子が水素分子になるのかがわからなかった.
水素原子は電気的に中性であるから,引き寄せ合うはずがない.
私はM先生の説明を期待した.
しかし,M先生の答えは,
「どうして,そんなことがわからないのか」
であった.
私はそれ以来,M先生も化学も嫌いになった.

<水素原子のイントロ>





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スイカを冷やせ,私を冷やすな

暑い日が続いている.
こういうときには,冷えたスイカを食べるのが一番である.
冷蔵庫からスイカを取り出しながら,昔を思い出した.
そういえば,冷蔵庫などがまだ普及していない時代には,
井戸水でスイカを冷やしたものである.
 井戸水はとても不思議な水であった.
夏には手が凍るのではないかと思うほど冷たかった.
当然,井戸水で冷やしたすいかは氷のように冷たかった.
その井戸水が冬にはとても温かく感じられ,
顔を洗うのも,井戸水ならば気にならなかった.
嘘かと思うかもしれないが,
どうして井戸水が夏には冷たくて,冬には温かいのか,
真剣に悩んでいた.
小学校に入学するまでは,
井戸水の温度が年間を通してほとんど変わらず,
気温のほうが変化していることに気がつかなかった.
それにしても,小学校のプールの水に
井戸水を使うことはやめて欲しかった.
冷たくて,入っていられるわけがない.
私はスイカではない.

<井戸型ポテンシャルのイントロ>




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ドラキュラの手

久しぶりに押入れからギターを出してきた.
ちょうど30年前に買ったものである.
その当時はフォークソングの全盛時代であった.
私もご多分にもれず,アルバイトで貯めたお金を全部使って,
ギターを買った.
そして,簡単なコードを覚えて,フォークソングを歌っていた.
今となっては,懐かしい思い出である.
 最近は,ギターはあまり流行っていない.
代わりにピアノが中高年に流行っているそうである.
どうやらボケ防止ということらしい.
私も2年前から習い始めた.
生まれて初めてピアノの鍵盤に触った.
最初のうちは恐る恐る弾いていたが,次第に慣れて来た.
しかし,どうしても指や手に力が入ってしまう.
とくに左手の甲が力によって反ってしまう.
もっと力を抜いて,手を丸くしなければならない.
ピアノの先生はにこにこしながら,
「あなたの手はドラキュラの手みたいね.幽霊の手でなければ」
と言う.
もうすこし,気持ちのよいたとえがあると嬉しいのだけれども.

<波動方程式のイントロ>


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土星のリング

小学生の時である.
その頃,日本人が彗星を発見して,
それが池谷・関彗星と名づけられ,天体観測がブームになった.
そんなある日,小学校の校庭で土星を観測する催しが開かれた.
近くの天体観測所の人が天体望遠鏡を貸してくれることになり,
希望者が集まって,土星を観測することになったのである.
私は夕方暗くなるのを待って,
近くに住む同級生と一緒に小学校へ急いだ.
 小学校の校庭では,
すでに天体観測所の人が
土星の方向に天体望遠鏡の向きを合わせていた.
いよいよ観測が始まった.
望遠鏡をのぞき込んだ同級生は,すごいと歓声をあげた.
そして,いよいよ私の番になった.
私は胸を躍らせながら,望遠鏡を覗き込んだ…….
しかし,そこには何も見えなかった.
ピントがあっていないのかと,目を凝らしたけれどもだめだった.
実は,同級生がいたずらで,
見終わったあとに望遠鏡の位置をずらしていたのだった.
(と思ったのだけれど,
どうやら,土星の動きが早すぎて視野から消えていたらしい.)

 <ボーアの原子模型のイントロ>





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フィギュアスケート

娘がスケートをやりたいというので,
○○スケートリンクに連れていった.
自慢にはならないが,私は生まれてこのかた,
一度もスケートをやったことがない.
この年で初めてスケートをやる勇気もなく,
仕方なく,観客席で眺めていることにした.
 しばらく眺めていると,
大勢のスケーターの中に
結構上手に滑っている人たちがいるのに気づいた.
その中にはジャンプして回転するものもいる.
フィギュアスケートのアマチュア選手かもしれない.
彼女らを注意してよくみていると,右に回転しているものと,
左に回転しているものがいることに気がついた.
右に回転するものはいつも右に回転し,
左に回転するものはいつも左に回転している.
前に向かってジャンプするときも,
後ろに向かってジャンプするときも,
あるいは,左足でジャンプするときも
右足でジャンプするときも,
いつも同じ向きに回転している.
どうやら,右利きと左利きがあるようだ.
電子にも右利きと左利きがある.

<電子スピンのイントロ>





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ある春の日のドライブ

いつのまにか新緑の美しい季節になった.
連休を利用して,奥日光にある鄙びた温泉宿に出かけた.
いつもならば,外環自動車道から
東北自動車道に抜けて行くのだけれども,
いろは坂の渋滞を避けるために,
今回は,関越自動車道を通ることにした.
しかし,これが運の尽きだった.
連休に関越自動車道などを通るものではない.
渋滞は何十キロメートルにもおよび,
高速道路を出る頃には,もうあたりは暗くなっていた.
初めて通る山道を私は地図を見ながら運転していた.
 やがて,分かれ道になった.
私はフロントガラスに着けてある方位磁石を見ながら,
車を北に進めた.
しかし,しばらく走ったあとで,右折をして,びっくりした.
右折したにもかかわらず,方位磁石は北を向いたままである.
 あとで気がついたことなのだが,
車にはいろいろなモーター類があり,
その磁場の影響で,
車内の方位磁石は正確な方向を示さないのである.

<磁気双極子モーメントのイントロ>





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炭素星と窒素星

「富士山に登ってみたい!」
 この頃,そんな衝動にかられることがある.
私は山登りが好きで,南アルプスの北岳,北アルプスの槍ヶ岳,
日光の白根山,八ヶ岳の赤岳,鳳凰三山など,
名のある山にはほとんど登った.
残念ながら,富士山にはまだ登ったことがなかった.
しかし,富士山に登ってみたいと思った理由はほかにもあった.
もしかしたら,富士山の頂上ならば,まだ,大気の汚れが少なく,
星が輝いているかもしれないと考えたからである.
 富士山の頂上で,私は,まず,獅子座を探すだろう.
獅子の左前足付近には,
「炭素星」と呼ばれる星があるはずである.
星からは,いろいろな電磁波がはるかな宇宙の旅をして
地球にまでやってくる.
それらを調べると,
その星のまわりにどのような分子があるのかがわかる.
 炭素星には地球上では珍しい炭素分子があることがわかっている.
そこで,炭素星と呼ばれる.もしかすると,
炭素星の人々は地球のことを窒素星と呼んでいるのかもしれない.

<電波望遠鏡のイントロ>





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皇帝ペンギンの越冬

どうして,こんな寒いところで冬を越そうとするのだろうか?
 南極の皇帝ペンギンのことである.
冬になると皇帝ペンギンは一箇所に集まってきて,
最低気温が零下30℃にもなる氷の上で寒さに耐える.
群れの内側のペンギンは,
エネルギーを消耗しないようにじっとしている.
群れの外側のペンギンは,直接,冷たい風にさらされているので,
じっとしていたら凍りついてしまう.
そこで,群れのまわりを歩き続けることになる.
歩き続けることによって,自らを寒風の盾として,
群れを寒さから守っているのである.
しかし,歩き続けていれば,体力を消耗して死んでしまう.
そこで,疲れると内側にいたペンギンと交代する.
誰から教わったわけでもないだろうけれども,
自然にそなわった種族保存の仕組みは見事なものである.

<振動回転スペクトルのイントロ>





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ラジオをたたく

最近のラジオはとても小さく,軽くなった.
手のひらに乗せても,あまり気にならない.
スピーカーと電池がほとんどを占め,
電気部品などは見落としてしまいそうである.
しかし,トランジスターやICが発明される前には,
ほとんどの家電製品は大きく,重たかった.
ラジオも例外ではなく,
両手でかかえなければならないほどであった.
ラジオの中にはいくつもの真空管があり,
スイッチを入れると,明るく輝いていた.
 昔のラジオは,ときどき,故障をした.
急に音がならなくなったりした.
つまみを調節してもなおらないと,よく,たたいたりした.
すると,驚いたことに直ることがあった.
まるで,手品のようである.
本当は,真空管の足がゆるんでいて,
接触不良になっていただけであるけれども.
 ラジオは放送局からの電波を受信して,
電気信号を音に変える.
電波の周波数は1〜100MHzである.
実は、原子核も電波を受信する.

<核磁気共鳴法のイントロ>





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よーい,どん

今年も運動会の季節がやってきた.
運動会といえば徒競争である.
5,6人の子供がピストルの合図とともに
一斉にスタートして,ゴールをめざす.
勉強が得意でも,運動の苦手な子供にとっては
憂鬱なことである.
しかし,逆に,勉強が苦手でも,
運動の得意な子供にとっては
自分をアピールする絶好の機会であった.
このときとばかりに張り切っていた.
 しかし,最近は,少し,事情が変わってきているようである.
運動会の練習であらかじめ競争をして,
同じくらいの速さの子供どうしが本番で
一緒に走るように組まれているらしい.
いつごろからそうなったのかはわからない.
子供達はいろいろな能力をもっているのだから,
いろいろな場面で活躍できる機会を与えたほうがよいのに.
そもそも,社会はいろいろな能力の人間が集まって,
初めて成り立つと思う.
 徒競争では,早い子もいれば遅い子もいる.
なんとなく,体重の重い子の方が遅いように思われる.
とくに,コーナーでは走りにくそうである.
同じような原理を使って,分子の質量を調べることができる.

<質量分析装置のイントロ>





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金魚の赤ちゃん

家で飼っている金魚に赤ちゃんが生まれた.
めだかを数ミリに縮めたような,かわいい赤ちゃんである.
金魚の赤ちゃんだから赤い色をしているかと期待したけれども,
色はついていなかった.
去年の秋,娘達が金魚すくいをしてもらってきた.
親の金魚には,立派な名前がついている.
どういうわけか,小さいほうが「きんとと」,
大きいほうが「きんかか」である.
 最初にもらってきたときには,実は3匹の金魚がいた.
しかし,3匹という数はあまりよくなかったらしい.
いつも2匹が仲良くくっついていて,
残りの1匹がさびしそうに離れていた.
 「かわいそうだね.あれでは寂しくて病気になってしまうよね」
と話していたら,本当に1週間ほどで死んでしまった.
3匹で仲良くすることはできないのだろうか.

<パウリの排他原理のイントロ>








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ネオンサインとヘリウムサイン

それは,まだ小学校に入る以前のことである.
あたりはすでに夕闇が迫っていた.
私は父親の自転車に乗せられて,駅前の通りを走っていた.
父親とどこかに遊びにいった帰り道だったかもしれないし,
仕事からの帰り道だったかもしれない.
いずれにしても,そのような遅い時間に街中を走ることは,
そのときが生まれて初めてだったような気がする.
繁華街を通るときに,
私は赤い光で書かれた派手な電気文字をみて,びっくりした.
その当時はまだテレビも白黒の時代である.
色のついた電気など見たことがなかった.
「あれはネオンサインというのだよ」
と父親は言った.
私はそのとき,色のついた電気のことを
ネオンサインと呼ぶのだと思った.
ネオンが元素の一つであることを学んだのは
中学校に入ってからのことである.
そして,その頃,どうしてネオンサインが電気文字に使われるのか
不思議に思っていた.
ヘリウムサインとか,
アルゴンサインとかいう電気文字はないのだろうか.

<原子発光のイントロ>




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霧の中で

どうして,こんな辛い思いをしなければならないのだろうか?
 山に登るときには,いつもそう思う.
そのときは,一人で日光白根山に登っていた.
もうすぐ頂上に着くと思った矢先に,
天候が急変して,霧に包まれてしまった.
1メートル先も見えない.
先ほどまで見えていた頂上も,
どちらにあるか,わからなくなってしまった.
 どうしよう.どちらに向かって歩いたらよいのだろうか.
 あたりは涸れ場で道があるわけでもない.
不安になると,すぐに,低いほうへ下りたくなる.
分子と同じである.
低いほうが安定であり,
高いほうへ登るにはエネルギーがいる.
しかし,山で遭難したら,
エネルギーを使ってでも高いほうへ登らなければならない.
高いほうへ登れば,必ず尾根に出て,道が見つかる.
 幸いなことに,霧は15分ぐらいで消えていった.
霧が消えると,驚いたことに,目の前に頂上があった.
 また,登りたい.頂上に着いたときには,いつもそう思う.

<ポテンシャルエネルギーのイントロ>





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夏至の前だというのに

ずいぶん,日が長くなってきた.
もうじき,夏至である.
夜7時を過ぎたにもかかわらず,外はまだ明るい.
北極圏では,一日中,太陽が沈まない白夜であろう.
地球が自転軸を傾けて太陽のまわりを公転しているために,
このような現象がおこる.
そのおかげで,春,夏,秋,冬といった季節の移り変わりを
味わうこともできる.
 昔は,夏至を過ぎると田植えを始めたそうだ.
最近は,そんなことはない.
早ければ早いほうがよいとばかりに,すぐに田植えを始める.
せっかちな時代になったものである.
代償として,季節感が失われた.
夏至の前だというのに,ブドウを食べた.
スイカも食べた.
本格的な夏になる頃には,
スイカを食べ飽きているかもしれない.
本当に,それが幸せなのだろうか.
 人間の営みとは無関係に,
地球は相変わらず,太陽のまわりを公転している.

<角運動量のイントロ>





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ウェーブになる

昔,広島に住んだことがある.
ある日のこと,
友人に誘われて市民球場にプロ野球を見にいった.
広島ファンの熱狂ぶりについては,
以前から聞かされていたけれども,
体験するのはこのときが初めてであった.
とくに,巨人戦ということもあって,
熱のこもった応援が続いていた.
 前半は巨人がリードしていたけれども,
7回裏についに逆転したときには,
球場全体が最高潮に盛り上がった.
そのとき,右側に座っていた人々が,
突然,立ちあがり,両手を高く挙げた.
友人も私も思わず立ちあがり,両手を高く挙げた.
すると今度は,左側に座っていた人々も立ちあがり,
両手を高く挙げた.
そして,立ちあがった順番に座っていった.
これは何だろう?
 やがて,その疑問は解けた.
同じような動きが,球場の反対側にまで伝わっていた.
そうか,これがウェーブというものなのか.
私は立ったり座ったりしていただけなのに,
いつのまにか,波の一部になっていた.

<物質波のイントロ>





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くまのプーさん

最近,UFOキャッチャーというゲームにはまっている.
ボタンを2回押して,UFOを左右と前後に動かし,
ぬいぐるみをとるゲームである.
はじめてぬいぐるみをとったのは,
浜名湖サービスエリアでのことだった.
そこで,くまのプーさんをとることができた.
それ以来,くまのプーさんを見ると,
欲しくなってお金を使ってしまう.
30センチほどのくまのプーさんが次々と集まってきて,
家には置ききれなくなってきた.
そのうち,五つを選んで大学に連れてきた.
 ときどき,五つのくまのプーさんを縦に並べたり,
横に並べたりしている.
飽きると,二列に並べたり,丸く輪にしたりもする.
数が多くなると,いろいろな並べ方がある.
 分子も同じようなことがある.
いくつかの分子がファンデルワールス結合(分子間力)によって
集まることがある.
分子の数が増えると,いろいろな並び方が可能となる.
それでも,やはり,エネルギーが最も低い並び方を選ぼうとする.

<分子クラスターのイントロ>





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夜明けの女神,オーロラ

静かな夕暮れであった.
遠くのほうで鳥のさえずる声が聞こえてくる.
都心に住んでいると,ときどきこのような温泉を訪れたくなる.
露天風呂からは,
夕映えの富士山がシルエットのようになって見えている.
絶景である.
やはり日本人には露天風呂がよく似合う.
 そういえば,アラスカにも露天風呂があると聞いたことがある.
アンカレッジの北560キロメートルに
フェアバンクスという町がある.
あまり知られてはいないかもしれないが,
その近くにチェナ温泉という露天風呂がある.
温泉だからお湯は温かいのだけれども,外気はとても冷たく,
服を着るまでにぬれたまつげや髪が凍ることもあるらしい.
それでも,一度は訪れてみたい露天風呂である.
 フェアバンクスはオーロラを
見ることのできる町としても有名である.
オーロラはローマ神話の「夜明けの女神」の名前
アウロラに由来すると言われている.
オーロラは女神のごとく,美しく,優雅に動き回る.
その幻想的な光の舞に魅せられて,
多くの日本人観光客がフェアバンクスを訪れている.

<許容遷移と禁制遷移のイントロ>




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サーカスがやってくる

サーカスがやってくる.
町のあちらこちらでビラが配られている.
テレビもない時代に,
数年に一度やってくるサーカスは
子供達にとってはビッグイベントである.
ご多分にもれず,私も親に頼んで連れていってもらった.
 最初は馬や象の曲芸が続いた.
ピエロも面白かった.
しかし,なんと言っても,空中ブランコである.
20メートル近い高さのブランコを使って,曲芸をしている.
怖くはないのだろうか.
ピエロが失敗して下に落ちたときには,おもわず目を覆った.
もちろん,そこには安全のためのネットが
張ってあったのだけれども.
 クライマックスはオートバイの曲芸である.
球状をした金網の中で,
最初は低いところを水平に円運動していた.
やがて,スピードをあげると,今度は,垂直に円運動を始めた.
最高点に達したときには,
そのまま,下に落ちるのではないかと,やはり目を覆った.
子供の頃の新鮮な驚きは,いつまでも忘れない.

<分子回転のイントロ>





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忘れられた柱時計

いつ頃から止まっているのだろうか.
私は柱に掛けてあった時計を下ろして,手に取った.
裏側には,結婚記念,昭和15年4月24日という文字がある.
今から60年以上も前に作られた時計である.
しばらく前までは動いていたはずだけれども,
忘れられて,いつのまにか止まっていた.
 動くのだろうか.
私は穴に時計のねじを入れて,ぜんまいを巻いた.
穴は4と8の数字の二箇所にある.
一つは針を動かすためのぜんまい,
もう一つは,時報を鳴らすためのぜんまいを巻くための穴である.
どちらがどちらかは忘れてしまった.
 振り子をゆらし,しばらく様子を見る.
動いた.確かに針が動いた.
古いものは,壊れることがほとんどない.
今のように,すぐに壊れるようにして,
新しいものを買わせる使い捨て時代とは違うのだ. 
 振り子は永遠に振動を続けるかのようである.
振り子の運動を単振動,あるいは,調和振動という.

<分子振動のイントロ>





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ホタルの光は熱くない

大学生になって,初めて北海道にいった.
サークル活動の一環として,
地元の中学生と一緒に化学実験をするためである.
化学実験を通して,
化学を好きになってもらおうというのがこの活動の目的である.
器具や試薬は,すべて東京から運んだ.
その当時は夜行列車で青森までいき,青函連絡線に乗り換え,
さらに,列車に揺られていった.
大学生が飛行機に乗れるような時代ではない.
 昼間は電気メッキをしたり,
水ガラスに硫酸コバルトなどの結晶を入れて
ケミカルガーデンを作ったりした.
夕方には親睦を深めるために,体育館でバレーボールをした.
夜には「肝試し」をした.
肝試しをしていると,
遠くのほうから,奇妙な光がいくつも近づいてきた.
一瞬,人魂かとも思ったけれども,ホタルだった.
 無数のホタルが飛んでいた.
手を近づけると,指先にとまるものもいた.
熱いかと思ったけれども,ぜんぜん,熱くはなかった.
神秘的な光である.
 最近は,ホタルをあまり見かけなくなってしまった.
川が汚れてしまったせいだろうか.
どんな生物でも,一度,絶滅してしまうと,
自然には,もとにはもどらない.

<蛍光スペクトルのイントロ>





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胡蝶蘭が咲かなかった

残念ながら,今年は花を咲かせなかった.
窓際に置いてある胡蝶蘭のことである.
一昨年と昨年はきれいな可憐な花を1ヶ月ほど咲かせ続けた.
しかし,今年は咲かない.
その代わりに,5枚ほどの葉が大きく育っている.
一生懸命に光合成をして,エネルギーを蓄えている.
そのエネルギーを使って,
来年はきっと大きな花を咲かせてくれるだろう.  
 緑の葉には葉緑体がある.
緑体には葉緑素が含まれる.
クロロフィルともいう.
クロロフィルには
4個のピロール環が4個の炭素で結合したポルフィリン環があり,
その中央に金属マグネシウムイオンがある.
このクロロフィルが緑以外の光,
とくに,赤や青紫の光を吸収して光合成を行っている.
太陽の光の中で,
光合成に利用されない緑の光が葉によって反射されるので,
緑に見えるのである.

<電子吸収スペクトルのイントロ>





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地球温暖化現象

二酸化炭素の増加が地球温暖化現象の原因であると言われてから,
すでに久しい.
イギリスの産業革命以来,人間の生産活動の結果として,
二酸化炭素の量が着実に増えつづけている.
二酸化炭素は地球から放射される赤外線を吸収して,
エネルギーの高い状態になる.
赤外線は熱線とも考えられるから,
まるで,地球が羽毛の毛布をかぶったようなものである.
あるいは,温室のように熱を外に逃がさないので,
温室効果とも言われている.
いずれにしても,地球の大気の温度が上昇すれば,
南極や北極の氷が溶けて,水位が上昇し,
日本でも一部の地域が水没するのではないかと懸念されている.
なんとかしなければならない.
 それにしても,何か変な気がする.
二酸化炭素が増えているといっても,
大気中に含まれる量はわずかに0.02%ほどである.
大気のほとんどは窒素と酸素とアルゴンでできている.
どうして,ほんのわずかしか存在しない二酸化炭素だけが
悪者になるのだろうか.
どうして,窒素や酸素は地球温暖化現象に関係しないのだろうか.

<赤外線吸収のイントロ>





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すばらしいシュート

すばらしいシュートだった.
先日見たサッカーの
コンフェデレーションズカップの準決勝でのことである.
どしゃぶりの雨の中,
中田英寿の放ったボールは芝生の上をすべるようにして,
ゴールの中に吸い込まれていった.
試合はそのまま日本が勝ち,決勝に進むことができた.
日本チームがサッカーの世界大会の決勝に進んだのは,
これまでになかった快挙である.
 ご存知のとおり,
サッカーは身体と身体が直接ぶつかり合う激しいスポーツである.
身体の小さな日本人が
身体の大きな外国選手を相手に対抗するためには,
どうしてもスピードが要求される.
速度が早くなれば,体重が軽くても対等に戦うことができる.
 相撲の場合もまったく同様である.
体重の軽い力士が体重の重い力士と対等に戦うためには,
立ち合いの速度が重要になる.
相手のスピードが最高速度になる前にぶつかれば,
体重が軽くても相手を押し出すことができる.

<運動量のイントロ>





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宇宙戦艦ヤマト

大学に入学してから,下宿生活をしていたせいもあって,
テレビもなく,ほとんど漫画なるものをみたことがなかった.
そんなある日,「量子力学」の講義が急に休講になった.
私は友人に誘われて,
アニメーション映画の「宇宙戦艦ヤマト」をみにいった.
第二次世界大戦で沈んだ戦艦大和を宇宙船として復活させ,
宇宙の悪と戦う物語である.
 宇宙戦艦ヤマトには,二つの特殊な機能があった.
一つは「ワープ」である.
敵から攻撃を受け,もはや勝てる状態にないときに,
敵に追いつかれずに逃げる方法が「ワープ」である.
ある位置から別の位置に移動するときに,
空間を曲げることによって,一気に飛び移る方法である.
敵の宇宙船は空間を曲げることができないので,
敵からは宇宙戦艦ヤマトが瞬間的に消えたようにみえる.
 もう一つは「波動法」である.
敵を攻撃するときに,普通の大砲の弾では,破壊力が小さい.
そこで,大砲の弾に,莫大なエネルギーを供給する.
大砲の弾は次第に光り輝くようになり,
やがて波となって発射される.
そして,敵の宇宙船に命中すれば,
それを瞬時に溶かしてしまう.

<電子遷移および物質波のイントロ>





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月明かりの中で

あたりはすでに暗くなりかけていた.
川沿いを歩いていたつもりなのに,
いつのまにか山深く迷い込んでしまったらしい.
どうしよう.
今ならば,まだ,戻ろうとすれば戻れるような気がした.
しかし,一度歩いた山道をふたたび戻る気にはなれなかった.
 東の空には,ぼんやりとした朧月が
杉の木々の間から見え隠れしている.
この頃,昼間の風は暖かくなったけれども,
夜になれば,まだまだ肌寒い.
しかし,温かい服を持っているわけでもなく,
余分な食べ物や飲み水を持っているわけでもなかった.
この道はどこから来て,どこへ続く道なのだろうか.
いつか,目的の地に到達することができるのだろうか.
 考えてみれば,人の最初の不従順
(man’s first disobedience)
そして,あの禁断の樹の果
(the fruit of that forbidden tree)より,
この道はずっとここまで続いていたような気がする.
ほかの獰猛な動物から身を守るために火を手にし,
そして,食料を得るために石斧や石槍の道具をつくった.
知恵,工夫,それらは
人によるこの地球の支配の原動力だったのかもしれない.
やがて,それらは科学技術という言葉で表現され,
その結果,文明,文化という輝かしい歴史を作り始める.
言葉,文字による情報伝達は獣からの脱却であり,
地球上のすべてを支配する手段でもあった.
しかし,それは本来の道だったのだろうか.
 しだいに辺りの空気が冷え込んできた.
立ち止まって夜空を見上げると,
さきほどまでかすんでいた月が
今ではくっきりと見ることができる.
あの美しい月面に,昔,人が着陸したことがあるという.

アポロ計画
 
その計画はアメリカのケネディ大統領の1961年の演説で始まった.
1960年代が終わるまでに,
地球から38万キロメートルも離れた宇宙空間に浮かぶ月に,
人を送り込もうという計画である.
アポロ計画という.
今思うと,とても信じられないような気がする.
その当時の科学技術は現在ほど発達していたわけではない.
とくに,コンピューターなどの情報処理,電磁波を使った測定,
通信,分析技術などは未熟なものであった.
実際,宇宙空間で宇宙船の位置を知るために,
六分儀と望遠鏡をもっていったと言われている.
当時のコンピューターは今のノートパソコンよりも,
あきらかに劣っていた.
 それでも,人は月を目指して飛んでいった.
1969年7月20日,アポロ11号の月着陸船は指令船を離れ,
月面に向かった.
その途中,5回も警報が鳴り響いたと言われている.
コンピューター計算による高度と
レーダー計測による高度の違いなどがその原因である.
しかしながら,確かに,人は初めて月面に立つことができた.
その後,事故のために月面着陸せずに帰還したアポロ13号を除けば,
人は6回も月面に立つことができた.
輝かしい科学技術の成果である.
そのうち,火星へ,そして,太陽系を離れて,
ほかの恒星へ,ほかの銀河へと,夢は大きく膨らむ.

両刃の剣,A,B,C
 
しかし,科学技術は未知への挑戦,発展という輝かしい成果だけを
生み出したのではない.
原子物理学の発展は,人に原子の姿を明らかにしただけではなく,
新たなる想像を絶するエネルギーをもたらした.
それは原子爆弾
Atomic bombに姿を変え,
人類滅亡への道を開いてしまった.
今や,地球上には数え切れないほどの核ミサイルが存在する.
もしも,核戦争が起きたときに,
人は生き延びることができるのだろうか.
1898年に,キュリー夫妻は,自らの身体を放射能におかされながら,
ウラン含有鉱石から
ポロニウムとラジウムという新しい放射性元素を発見した.
人類をほろぼすためではなかったはずである.
 あるとき,突然,新型コロナウイルスが中国で流行し,
その感染は世界中に広がる勢いを見せた.
SARSという名前がつけられ,
その致死率の高さに多くの人が恐怖を抱き,
もはや,人類の滅亡も近いのではないかと思われた.
SARSが最初に報告されたときに,
まず疑ったことはSARSが遺伝子組み換え技術によって生まれた
新型のウイルスではないかということである.
そのような疑問をもつのも当然である.
今や,人は決して踏み込んではならない自らの遺伝子までも
科学技術の対象とし始めている.
その影で,遺伝子組み換え技術を使って,
想像もつかないような生命体が生み出されようとしている.
もはや,何がおこるかわからない.
インフルエンザウイルスのように感染力が強く,
ペスト菌のように致死率の高い生命体が
偶然に生み出される可能性がないわけではない.
そして,自分がそのつもりでなくても,
誰かが生物兵器
Biological weaponとして使用しないとも限らない.
 化学は現代の物質社会を豊かにした.
人は競って,新しい化学反応,新しい触媒,
新しい物質を開発してきた.
だれもがそれは人の豊かさのためと思っている.
しかし,人が科学技術で造った化学物質の中で
人に害のないものなどはありえない.
すでに,第一次世界大戦ではホスゲンという毒ガスが使われ,
最近では,サリンという化学物質によって人が殺され,
あるいは後遺症に苦しんでいる.
核ミサイルよりも安価で
誰にでも容易にできる化学兵器
Chemical weapon
開発することができる時代になってしまった.

もしも地球が平だったならば
 
人の歴史,それは戦いの歴史であったのかもしれない.
広い空間の中で,温和な性質のハツカネズミは平和に生きる.
しかし,狭い空間の中に多くのハツカネズミを入れると,
殺し合いを始める.
戦いは生物の本能なのだろうか.
 昔,人は地球がどこまでも続く平面であると思っていた.
科学技術がまだ発達せず,人の行動範囲も狭いときには,
それで何も問題はなかった.
しかし,やがて,地球が太陽を回る球であり,
限りある空間であることを科学技術は証明した.
大航海時代の始まりである.
コロンブスは地球が球であることを証明するために,
東にあるインドを目指して,逆に,西へ西へと向かった.
そして,1492年に,偶然,アメリカ大陸を発見する.
マジェランは1519年にスペインを出発し,
自分は途中で亡くなったけれども,
一緒に出かけた彼の部下が3年後にスペインに戻ってきた.
航海日誌の日付が1日ずれていたことは言うまでもない.
もはや,地球が球であり,
また,限りある空間であることは疑う余地がない.
現在では,数え切れないほどの航空機が空を飛び交い,
その日のうちに,地球上のどこにでも行くことができる.
実際に出かけなくても,
インターネットや電子メールが瞬時に地球上をかけめぐる.
地球が狭くなったのではない.
人が科学技術によって地球を狭くしたのである.
もしも地球が平だったならば…….
 限りあるのは地球ばかりではない.
太陽にも星にも大きさがあり,寿命がある.
太陽の寿命は100億年と言われている.
すでに,太陽系ができてから50億年が過ぎたのだから,
残りは50億年ということになる.
やがて,太陽は核融合の原料である水素を使い果たし,
赤色巨星となり,
そして,地球を飲み込んで終わりを迎える.
銀河にも大きさがあり,寿命もある.
我々の住んでいる銀河の半径は5万光年である.
宇宙を眺めてみると,いたるところで銀河と銀河が衝突し,
その結果,新たな銀河が次々と生まれているという.
この世に生まれたものに,
“永遠”という言葉はあてはまらない.

川の流れに身を任せ
 
どのくらい時間が経ったのだろうか.
夜空を見上げれば,そこにはたくさんの星がまたたいている.
何万年,何十万年という長い年月を経て,
ようやく地球に届いた光である.
私はふらふらと大きな一本の杉の木の根元にしゃがみこんだ.
歩き疲れたわけではない.
一つの流れ星が北の空に現れて消えるのを目にしたときに,
なんとなく宇宙の寂しさに
足元をすくわれたような気がしたからである.
杉の香りを含んだ黒い大地の冷たい湿気が,
手,足を通して全身にしみこんでくる.
もたれかかった杉の木からは,
そのゆっくりとした鼓動が背中を通して伝わってくる.
いつのまにか,自分が自然の一部になっているような感覚を覚える.
 耳を澄ませば,どこからか川の流れる音が聞こえてくる.
おそらく,この川に沿って下ってゆけば,
やがて大海原に出るに違いない.
もう,暗闇の中を歩き回る必要はない.
その後はどうなるのだろうか?
いや,もう,そのことを考えるのはやめにしよう.
どの川を下ったとしても,辿り着くところは同じなのだから.
 夜露で濡れた笹の葉を振り払いながら,
ゆっくりと川岸に下りていった.
そこには,朽ちかけた小さな舟が
誰かを待っていたかのように置かれてあった.
それはそれほど重くはなかった.
そっと押すだけで,
川原を滑らせるようにして水辺まで運ぶことができた.
静かな夜である.
星のまたたきと月のしずくが川面でゆらいでいる.
そんな自然の織り成すスペクトルの中を舟はゆっくりと動き始めた.
櫂などをもつ必要はなかった.
すべては川の流れのままに.


(いま)はただ
 
 渡(わた)(ふね)にて ()()けて 
    
()(すえ)(ゆだ)ねる ()無月(なづき)(たび)

(ひと)()の 
  ひと
(とき)()に ()()(ぶね) 
  
  川面(かわも)()れる 波風(なみかぜ)()

()もすがら 
  
()せては(かえ)す 波音(なみおと)に 
  
  知()(ひと)もなく (ふね)(ひと)つゆく

<スペクトルを探る旅:エピローグ>

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